ジングル

「・・・・・・・・????」




遠くで小さな声がした。



ホグワーツの鐘の音が痛いほど頭に響く



あの鐘の音はあんなに大きかったっけ……??



















ジングル














!良かった!!!目を覚ましたのね??」


「……あれ?」



視界に現われたのはグリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャー。


彼女の手が私の身体を確かめるように揺さぶっていた。



「……私……」


どうやら私は寝ていたようだ。でも寮の違うハーマイオニーが何で傍にいるのかわからない。


見回して視界に入った天井は硬そうな灰色で、真っ白に塗り込められた見慣れた自分の部屋ではなかった。



「ここは保健室よ」


ハーマイオニーが教えてくれた。


私は何故保健室で寝ているのだろう。



「あなた、階段から落ちて頭を打ったらしいわよ。」


ああ、どおりで。


後頭部がズキズキする。ホグワーツの鐘の音だと思っていた痛みはこれだったのか。



「……私、どうやって階段から落ちたのかしら…?」


階段から落ちただなんて、全然思い出せないし、ピンとこない。


「さぁ、私は見てないのだけれど…。でも良かったわ、目が覚めて」


「誰か運んでくれたの?」


「そう…。その…たまたまだと思うけど、マルフォイよ。」


マルフォイ?


「あなたが頭を打って気絶しているところを発見したんじゃないかしら。何の気まぐれか、ここまで運んでくれたみたいよ」


クィディッチの練習があるとかですぐに行ってしまったけれど、

ちょうど私が居てよかったわ、なんてハーマイオニーは一気に喋った。



「…ねぇ、ハーマイオニー。」


「?何?」









「マルフォイって誰??」












ハーマイオニーは髪色と同じに光る目を二倍くらいに大きくさせて私を見た。

















ここはホグワーツで、私はレイブンクロー寮の4年生…。


目の前にいるのはハーマイオニー・グレンジャーで同じ学年でもトップの成績。




そして……あら?



今日は何日だったかしら…?
















!!!目が覚めたようだな!!」

無作法にも保健室のカーテンをしゃっと開けた銀髪の青年に

ハーマイオニーとは勢いよく顔を向けた。


「階段から落ちるなんて、まったく無様もいいところだな。」


「……あなた誰??」


「は?」


威厳に満ちた表情だった青年は、その綺麗に整えられた眉を寄せる。


「…、グレンジャー、なんの冗談だ?」

馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに青年は着ていたクィディッチ用のマント留めをパチリと外した。

、彼がさっき言ってたマルフォイよ」

「………」

「一体何を言っているんだ?」


訝しげに自分を見つめるを気持ち悪そうにドラコ・マルフォイは見た。



「…そう。あの、運んでくれてありがとう。マルフォイ君。」

「はっ??!!だから何の真似だ?やめてくれよ気味悪い」

「マルフォイ、はちょっと打ち所が悪かったみたいだわ。

 さっきマダムポンフリーに見ていただいたの。軽い記憶喪失よ。

 今日の事と、あなたの事は思い出せないんですって」


「はぁぁぁ???!!!」


ドラコはハーマイオニーとを交互に見た。





















「マルフォイの事だけ忘れてしまったなんて愉快だな!」


「僕だって出来ることなら忘れたいよ。」


「あら、どうして?」


ハーマイオニーを探しに来たロンとハリーはレイブンクロー寮まで送ってくれたが

私の疑問には「あー…だって…、うん…。」と明確に答えてくれなかった。

そうか、グリフィンドールとスリザリンは仲が悪いものね。

ハーマイオニーはそんな様子を見て隣で溜息をついていたが、

今日の親切を思うと、グリフィンドールの子達ってなんて暖かいのだろう、

そう思わずには居られなかった。

逆にマルフォイ君とやらはスリザリンのローブを着ていたのだから

あの狡猾な寮にぴったりの人物に違いない、と確信した。


それにしてもどうして私は彼のことだけ忘れてしまったのだろうか。

















灰色で静寂な廊下を歩けば、沢山の生徒とすれ違う。この子もその子も皆見覚えがあるのに

あの銀髪にピンとこない。あんな素晴らしい銀髪はすれ違いでもすれば嫌でも目に入る筈なのに。

だってほら、こんなに遠くからでも解るじゃないか。


ぼんやりと向けた視界の先にその銀髪は居た。



マルフォイ君だ。



彼はこちらに向かって大股で歩いてきていて、私は思わず足を止めてしまう。

マルフォイ君がこちらを見ていたから、きっと私に言いたい事があるに違いない。






名前を呼ばれてもやっぱりその声にピンとこなかった。

突き放されたように呼ばれた名前はマルフォイ君の感情と、狡猾らしいスリザリンの印象が

現れていて少し怖かったけれど、保健室まで運んでくれた恩人をすっかり忘れるなんて

失礼なこと、彼が怒っていても無理はない。

むしろ、そんな態度の彼でさえ、その冴え冴えする銀髪は見事に似合うものだと思ってしまった。




「本当に僕の事を忘れてしまったんだろうね?」



随分と高いところから言うように彼は言った。

細められた視線は「嘘をついているのなら承知しない」と言っているようで、

そんなつもりは全く無いと私は大きく首を振った。


「……ごめんなさい……」


彼がどんな人物か覚えていないのに、私は酷い叱責を受けるだろうと感じていた。

私は彼とどんな関係があったのだか知らないが、きっと仲が良かった筈なんてない、

そう思って私は身を縮めた。もしかしたら殴られるのかもしれない。


だが、彼の瞳がギラリと光ったかと思った瞬間、その睨みは急に弱められたのだ。



「…今でもか」


「……はい…」



それは一瞬の事だったに違いなかった。

「はい」と答えた瞬間、再び彼の灰色の目はギッと私を睨みつけた。


「この僕を忘れるなんて、、本当に度胸があるよな。君は前々からそうだ。」


身を乗り出すように捲くし立てられながら、

彼のことを覚えていなくて本当に悔しいと思った。


前々からそうだ、だなんて、彼のことを覚えていさえすれば何か言い返せたかもしれないのに

覚えていないのが彼だけで、あの一瞬見せた瞳にタイミングを逃してしまった。




「冗談じゃあないんだろうな?」

マルフォイ君が睨みを利かせたままもう一度聞いた。

頷けばまた酷い言葉が飛び出すのだろうか。この場を離れてしまいたい、そう強く思ったが

灰色の瞳は易々と逃がしてくれそうに無い。

ちょうどその時、廊下の向こうからハーマイオニーが走ってくるのが見えた。


マルフォイ君はハンと鼻を鳴らし、


「正義のグリフィンドールのお出ましか。」と馬鹿にしたように吐き出すと


元来た方向へ力強く振り向いて大股で去ってしまった。



、酷いこと言われたの?」


駆けつけたハーマイオニーが気遣って聞いてくれたけど私は頭を振った。


「自分の存在を忘れられるってすごく悔しいんだろうな」


「マルフォイにはいい薬よ」


そんなに酷い人だったという記憶はないけれど、別に良かった人という記憶があるわけでもなく。


私はどうにか彼のことを思いだそうとして頭が痛くなった。

















銀色、灰色、緑色、どれもぴったりでどことなく冷たい。


そんな印象がまるでそれまであった記憶のように自分に蓄積されていく。


…でもそれだけ……?


『君は前々からそうだ。』


私はマルフォイ君の言葉を思い出していた。


私はマルフォイ君にとってどんな人物なの??











大広間に向かう廊下で再びあの銀髪と出くわした。

マルフォイ君は私を一瞥し、ふいと顔を背ける。

いままでがどんな関係だったのか覚えていないから、

冷たい態度をとられても、私にはマルフォイ君に言い返す力がない。

ずっとこの関係が私とマルフォイ君の間に続くのだろうか。

なんだかすごく寂しいな、せめて何か思い出せたらいいのに、と

顔を俯けて少し磨り減ったつま先を見た。






その時、






「…なぁ、」





顔を上げるといつの間にか目の前にマルフォイ君が立っており、

声をあげそうになるくらい驚いた。

マルフォイ君は見上げるくらいある身長を、私の顔を伺うかのように屈めて、

私の目を見た。



薄く、青みがかった灰色の瞳はどこか寂しげな自分を映す。

だから、本当はマルフォイ君の瞳も寂しげだったなんて、その時の私は気付かなかった。



「…なぁ、僕のせいなんだろ…?」


マルフォイ君は瞳に私を映して言った。

瞳の中の私は「えっ?」と目を丸くする。







「…僕が嫌いなら嫌いと言ってくれ」

「……あの、マルフォイ君」

「やめてくれよ!」


苦渋に満ちた表情でマルフォイ君は言った。

少し大きな声だったから廊下を歩く生徒が立ち止まって私達を眺める。


「…そんな風に呼ぶのはやめてくれ。嫌いでも構わないから僕を知らないふりなんてするな!」


「私…そんな…。」


無意識のうちにスカートを握り締めた。

握った拳が汗ばんで、カタカタ震える。


「…本当に、覚えていないのよ…」


「こうまでされるほど嫌われていたとは知らなかったよ…。君はさぞかし愉快だっただろう?

 この僕が、浮かれて君に告白なんかして、…そう、君は笑っていた。」


「……!」


ピシリ、と背中が突っ張るのが解った。

マルフォイ君は私を睨みつけて、尚且つ続ける。


「…しかし君は計算外だったんだろう?僕が突然君にキスすることなんてな。

 だから君は驚いて階段から落ちたんだ」


「……キス……?」


階段から落ちた時にぶつけたと思われるタンコブは、もう随分小さくなっていたが

"キス"という言葉を堺にまたジンジンと鈍い痛みを放ち始めた。



「ああ、そうだ。こんな風にね」


突然にマルフォイ君は私の腕を掴むと、ぐいと引き寄せて、唇にキスをした。


あっ、と、そこらにいる生徒が息を呑んだり、声を出したりしているのが聞こえた。




そして、



ホグワーツの鐘の音が聞こえるのを聞いたのだ。




「また忘れてみせるかい?


唇を離して、掴んでいた腕を突き放すように放った。



「…ドラコ」



私の口は驚くほど自然にドラコの名前を呼んだ。


ドラコは少し眉を上げて私を見た。



「…ひ、…人前でなんてことすんのよー!!!!」



押し付けられた唇を指先で抑えながら、私は真っ赤になった。








思い出した。












素晴らしい銀色の髪、

冷たい視線、緑色に光る寮紋。


言葉は意地悪で、でも、差し出された手は暖かくて。




何気ない会話を階段の上でしていた時に、

赤い顔で「好きだ」と言われた。



私は




私は笑ったのだ。





嬉しくて。




そしてドラコに「私も好き」と告げようとしたその時に


今みたいにドラコからキスされて、


よろけて階段から落ちたのだ。
















…!……!と名前を呼んでいたのは…



「ドラコだったのね」


「何がだよ」



ドラコはまだ訝しげに眉を顰めていたが、


今では目の前のドラコの事がはっきりと解る。





「思い出したの」



「へぇ」



ドラコは未だ私の事を信じていないように見ていた。



「ドラコの事、全部。」


「それは嬉しい限りだね」


「私がドラコの事を好きなことも」


「へぇ、そんなこと今更………え?」



だから、



私は目の前のドラコ・マルフォイに抱きついたのだ。







「忘れていてごめんなさい」








「……本当に……?」







「そうよ、私は本当に忘れてしまっていたの。そして本当にドラコが好きよ!」












抱きついた私を押さえ込んでしまうようにドラコは私に口付けた。






ハーマイオニーはなんと言うだろう。

あの暖かいグリフィンドールの子達は私と友達でいてくれるかな。



周りの生徒がざわざわとざわめきだつのが聞こえた。


でも気にしない。


今耳に届くのはドラコの私を何度も呼ぶ声とホグワーツのジングルなのだ。



















それにしてもどうして僕のことだけを……?



だって、私、階段から落ちたときドラコのことしか考えていなかったもの。











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